≫傷口≪


「痛ッ」
!?どないしたん!?」
「…いたた…手、切っちゃった…」

夕食の支度中、指先に走った小さな衝撃。
すぐに滲んできた血の色に、慌てて傷口を咥える。

「うー…鉄の味…」
「ほら、手ぇ出し」

言われるままに手を差し出すと、器用に絆創膏を巻いてくれた。

「ありがとう」
「傷、ちょっと深そうやな…大丈夫か?」
「うん」

深いとはいってもそれ程大きな傷ではないし、
しばらくすれば傷口も塞がるはず。
そう思って、よく考えずに頷いた。

この後、まさかあんなことになるとは思わずに。


「い…ッいったーーーい!!」

それから1時間ほど経ったお風呂場に、私の叫び声が響いた。

「…石鹸…しみる〜〜〜…ッ」

そう、いくら小さいとはいえ傷は傷。
ボディソープに触れた途端、切った時とは比べ物にならない
痛みが全身を貫いたのだった。

しかも、場所が指先なだけに避けようがない。

「うう…単なる切り傷だと思って侮ってた…」

今更ながら、自分の不注意が憎い。
と、ドア越しにバタバタと慌ただしい足音が近づいてくるのがわかった。

「な、何や今の叫び声は!?一体どない…」

…!だ!
私の声に驚いて駆けつけてくれたらしい。

で、でも!

「わー!!ちょ、ちょっとストップ!!」

今ドアを開けられても困ります…ッ!!

「だ、大丈夫!大丈夫だから!」

急いで張り上げた声は、なんとか間に合ったらしい。
ドアノブは回らず、代わりに少し怪訝そうなの声が返ってきた。

「…?せやけど今、ものすごい声やったで?」
「いや、あの、ね……石鹸が…しみたの」

…我ながら情けない…。

「石鹸?ああ、傷口にか?」
「うん」
「…ほな、俺が洗ったろか?の身体」
「!?…ば…ッ」

な、何を言うかと思えば…ッ

「…くく…冗談やって」
「冗談きついよ…」

こっちは本気で困ってるのに…。

「あ、せや。あれ使こたらええやん。ビニール手袋」

の提案に、私はああそうかと頷いた。

「ちょっと待っとって」

そう言って、は台所にビニール手袋を取りに行ってくれたようだ。
気を遣って、ドアをほんの少しだけ開けた隙間からそれを差し出してくれた時は、
申し訳ないけどちょっと笑ってしまった。

「あ、全然しみない!、ありがとう!」

早速はめてみた私は、予想以上の効果に声を上げる。

「さよか。じゃあリビング戻ってるからな」

ほっとしたようなの声がして、足音が遠ざかった。

さてと、バスタイムを再開しますか!

もこもこと泡立てたスポンジで身体を洗い、お湯をかぶる。

「んー気持ちいいー♪」

のお陰でいつも通りの入浴を楽しめそう。
感謝、感謝。

「さてと、次は髪を…」

………。
そこで私はふと気付いた。

髪はゴム手袋してちゃ洗えないじゃない…。
泡立てられないし、シャンプー落ちたかもわからないし…。

でも、かといって手袋を外せば……。

…ぶるぶる…ッ
さっきの痛みを思い出して、私は首をすくめた。

…あー…こんなことなら髪濡らすんじゃなかったぁ…。

「…こうなったら仕方ない…か」

とりあえず洗髪以外を終わらせて、お風呂から出る。
パジャマを着て……
一瞬迷ったけれど、やっぱり助けを求めるしかないと覚悟を決めた。

「…〜…」

弱々しい声は、にちゃんと届いたようだ。

「なんや?どないしたん?」
「…洗って欲しいの…」
「!?あ、洗って欲しいて…、ほんまか?」

の動揺ぶりにさっきの冗談を思い出し、
言葉が足りなかったと慌てて付け加えた。

「…ち、違う!身体じゃなくて、髪!髪の毛!」
「…え?ああ、なんや、髪か」

ああ、なんや…って、何を想像してるのよまったく…!

「ゴム手袋じゃうまくいかなくて…ごめん」

言いながら、ドアを開けた。
そこにが顔を覗かせる。

「なんや、パジャマ着てしもたんやな」
「あ、当たり前でしょ…ッ」
「冗談やって。…入るで?」

脱衣所に充満した湯気で、の眼鏡が曇った。
それを外しながら微笑む

「ええよ、洗ったる」
「…本当、お手数おかけします…」
「ええねんて。のお願いならなんでも大歓迎や」
「…ありがとう」

申し訳なく思う気持ちに、あったかいものが注がれる感じ。
嗚呼…やっぱりは優しいなぁ…。

「ほなこっちおいで」

脱衣所の蛇口は取り外し可能なシャワー式。
流しに前屈みになれば、髪だけを洗うこともできる作りになっている。

そこに手招きされ、流しの枠を握らされた。

「傷口、気ぃ付けてな?」
「うん」

傍らに立たれ、頭を抱えられる。
ふわりとの香りがして、なんだか恥ずかしい。

…良かった、顔見えなくて…。

「お湯、熱ないか?」
「大丈夫」
「……気持ちええな、濡れたの髪。するするして、指通りが心地ええ…」

言われながら、感触を確かめるように何度も髪を梳かれる。
その感じが私にも気持ちが良くて、思わずうっとりと目を閉じた。

「…ん、ええよ。これでお終いや」

タオルをかけられて、はっと我に返る。
いけない、ぼうっとしすぎたみたい。

「ありがとう、本当に」

身体を起こし、水分を取ろうとタオルを握った手を掴まれた。

「なぁ、髪乾かすのもやってええ?」
「え…?」
「嫌やないやろ?怪我人はじっとしとき」

なんだか楽しそうにそう言われ、なかば無理矢理にタオルを奪われる。

「ちょ、ちょっと…」

結局抗議も虚しく、ドライヤーをかけるところまできっちりとされてしまった。


「…これって甘やかしすぎじゃない…?」

お風呂上りの喉を潤すためにお茶を飲みながら、そんな憎まれ口を叩く。
なんだかんだ言って、すっかり甘えてしまった照れの裏返しなのだけれど。

「ん?俺はごっつ嬉しかったで?に甘えてもろて」
「…」

そんな風に言われたら、もう何も言えなくなっちゃうじゃない。

「ほんま、怪我様々や」

痛くないよう優しく加減された力で怪我をした指を握られて、そう微笑まれた。

「人の怪我を喜ばないでよ…」

なんて、これも嬉しい気持ちの裏返し。

こんなことならあと数日は、痛い振りをしちゃおうかな?


end.


管理人が実際に手を切り、傷を手当てしてもらう夢粒が浮かんだのですが、
その後お風呂で痛い目に遭い(涙)、急遽大幅付け足しとなりました。
…もちろん私は泣く泣く自分で洗いましたです…ッ(当たり前)