≫内緒のあなた、秘密のわたし≪


普段見たことのない恋人の姿に、興味がある人は多いと思う。

かくいう私も、学生生活を送っているを一目でいいから見てみたいって、
結構本気で思っていた。

思っていた、けど……だからって……。

「やっぱりやだよ! 今日は学校早退して!!」

私がこれだけ必死に頼んでいるのに、携帯の向こうのはあくまで譲らない。

『いーやーや。こんなチャンス、滅多にないんやからな』
「チャンスって……!」
『あっ……と、そろそろ出発や。ほな、また後でなー』
「あ、ちょ、ちょっと……ッ」

――ツー、ツー、ツー。

「そんなあ〜……」

携帯から電子音しか聞こえなくなり、私は脱力する。

「どうかしたの?」

背後からの声に、私は慌てて振り向いた。
髪をアップにして、ステージ用の衣装に着替えた先輩が、小首を傾げている。

「えっ、あ、いや。な、なんでもないです……っ」
「そう? 今日は芸術鑑賞会で学生さんたちがたくさん来るから、頑張りましょうね」
「あ、は、はい。そうですね」

――芸術鑑賞会。

学校行事のひとつで、歌舞伎や能、ミュージカル、あるいはクラシックコンサートなどを
鑑賞しに行くイベントだ。

そしてまさに今日、の学校の芸術鑑賞会が、私が所属するオーケストラで行われる。

つまり、学生生活を送るを見られるかもしれない反面、
プロオケのメンバーとして演奏している私も見られてしまう、というわけで。

……ワガママだってことはわかってる。
でも、普段のは見たいけど、普段の私を見られるのはものすごく嫌、なのだ。

「そうそう、知ってる? 今日来るの、あの氷帝学園の子たちなんですって!」

特ダネ情報とでもいうかのように、先輩が私にそう耳打ちしてくる。

……知ってるも、なにも……。

「格好良い子とか、来るといいわね」
「あはは……そう、ですね」

私は苦笑いを返しながら、心の中で盛大にため息を吐いた。


 * * *


それから、約一時間後。
さすがはお金持ち学校とでもいうべき、校章付きのリムジンバスに乗って、たちはやって来た。

『氷帝学園中等部の皆様、本日は春の芸術鑑賞会にお越しいただき、誠にありがとうございます』

こういう時、目が良いのって損だ。
場内アナウンスを聞きながら、私はそっと目を伏せた。

客席に座る何百という学生のなかから、をすぐに見つけだしてしまった自分を恨む。
……もしかしたら、目が良いだけが理由じゃないのかもしれないけど。

『それでは第一部といたしまして、フリューリングスオーケストラの演奏をお楽しみください』

アナウンスの終了と共に客席が暗くなり、舞台に照明が向けられる。
舞台袖から指揮者が登場して、ホールは拍手に包まれた。

あー……妙に意識しちゃう。
こんなに緊張するのって、もしかしたら音大の受験以来かも……。

私は良い意味での緊張感をはるかに超えるプレッシャーを感じながら、譜面に視線を上げた。

「!」

譜面の隅に、見慣れぬ珍客がいる。

たこ焼きに顔が描かれた愛嬌のあるキャラクターのシール。
手書きで足されたんだろう眼鏡をかけ、ふき出しのなかにはメッセージも見えた。

『気張りすぎんなや』

――これ、絶対だ。いつの間に……。

その小さないたずらに、気付けば肩の力が抜けている。
私はふっと息を吐き、それからぐっと顔を上げた。

よっしゃ、プロ根性、見せてやろうじゃないの!


 * * *


それから、約九十分間。
モーツァルトやバッハなどの耳慣れた有名曲から、ルロイ・アンダーソンの軽快で楽しい曲、
映画やドラマ、はたまたアニメの主題歌などなど盛り沢山の内容で、演奏会は終了した。

のお陰で、私も思う存分納得のいく演奏ができて、
これなら、に見られていても合格点の恋人でいられたかな、なんて。

演奏に対するあたたかい拍手を受けながら、私はほっと胸を撫で下ろした。

その時、もう一度場内アナウンスが流れる。

『それでは第二部といたしまして、皆さんに楽器の体験をしていただこうと思います』

――そうだ、忘れてた……!
芸術鑑賞会では、いつもこうした楽器体験イベントが行われているのだ。

『先着順となりますが、興味を持たれた方は、舞台の希望楽器のところへどうぞ』

アナウンスに促され、客席からぱらぱらと人が降りてくる。

……、来てくれるかな……。
淡い期待を込めて客席を見渡そうとした時。

「あの」
「!」

声をかけてくれたのは、ではなかった。

銀色の髪をした、長身の男の子。
クロスのペンダントの上に、まさに天使のような笑顔をたたえている。

「フルート、吹いてみたいんですけど……いいですか?」
「え、ええ。もちろん……」

頷いた私が、立ち上がろうとしたその時。

「ちょい待ちや!」

今度こそ、本人がそこに立っていた。

「……忍足先輩」

銀髪の男の子が、驚いたように振り返る。
の後輩……なのかな。

「鳳。自分、先輩に喧嘩売っとるんか」
「え?」

鳳と呼ばれた男の子は、責められた理由がわからず首をかしげる。

当然だろう。
私とが知り合いで、ましてや恋人同士だなんて、知る由もないんだから。

もそれに気付いたらしく、あー……と頭をかいた。

「あ、いや、そうやなくて……鳳いうたら、バイオリンやろ?」
「ええ、まあ」

後輩くんの頷きに、せやろせやろ、とも相槌を入れる。

「せやからフルートは俺に任せて、さっさとバイオリンのとこ行き」
「いえ、バイオリンはいつも弾いてるので、今日は管楽器を演奏してみたいと思いまして」
「………………さよか」

なかなか落ちない後輩くんに、はがくりとうなだれた。

――、なんか可愛い。
それにこうして同じ年頃の子とやり取りしてる姿は新鮮だった。

「ほな、じゃんけんや! それで文句ないやろ?」
「え、ええ、いいですよ」
「よっしゃ! いくで」

言うなり、は腕をまくり…………

「あ、勝った」
「ま、負けた……」

結果、後輩くんの勝利。

「鳳! もういっぺん! な、もういっぺん……!」

なおも食い下がろうとするの背後から、よく通る声が響いた。

「……忍足。お前、そんなに音楽に興味があったのか」

振り向いたが、固まる。

「か、監督……!」

そこには、外国映画の中でしかお目にかからないようなスーツを着こなした男性が立っていた。
鋭い眼光が印象的だ。

確か今、は「監督」って呼んでいたような……?

「今度、授業でもみっちり見てやろう。今日は残念だったな、行ってよし!」
「そりゃないで〜……」

なぜか絶対服従の雰囲気で、はすごすごと客席に帰っていった。


 * * *


「お疲れ様でしたー」

帰り支度を済ませ、私はホールを出た。

いろいろあったけど、楽しかったな。
……は、なんだかちょっぴりかわいそうだったけど。

「ふふ」

思い出し笑いをしながら、まだ幾分花を残している桜並木にさしかかったところだった。

「お疲れサン」

振り向いて驚いた。

「! ……! 帰ったんじゃなかったの?」

木陰のベンチから、が立ち上がる。

「自由解散になったから、待ってたんや。一緒に帰ろ思て」
「あ、ありがとう……!」
「ほな、行こか」

譜面の入った鞄はが持ってくれて、私はフルートケースだけを持って歩き出した。

「今日は残念だったね。楽器体験」
「あー……まあな」

が苦笑いする。
それからふと、優しい視線を向けられた。

「せやけど、ほんま良かったで。今日の芸術鑑賞会」
「そう? なら、よかったけど」

笑って見上げた先で、が目を細める。

、プロの顔しとった」
「あ、あはは……なんか恥ずかしいな」
「なんで? めっちゃかっこよくて、惚れ直したんやで、俺」
「…………〜〜ッ」

余計に恥ずかしくなって、私は顔を伏せる。

、いま照れとるやろ」
「……う、うるさい」

まったく、顔が熱くなるったら……。

その時、ふと思いついて私は顔を上げた。

「ねえ、いつか授業参観とかないの?」
「……あったらどないする気や」

反撃の雰囲気を感じ取ったのか、今度はが身構える番だった。

「もちろん行くの! あ、できたら音楽の授業がいいな」
「アカン! それだけはアカン!!」
「なんでよ? 私もに惚れ直してみたいな〜」
「あ、アホか!」

反撃成功。
に困った顔をさせられたことが嬉しくて、私はふふっと笑った。

「……せやけど、これ以上惚れ直したら、大変なことになるんやないの?」
「ど、どういう意味よ」

私が聞き返すと、はしれっと言う。

「ん? はいまでもじゅーーーっぶん、俺にメロメロやろ」
「……うっわ! 自信過剰!」

桜並木に、二人分の笑い声が響いた。


普段は見られないお互いを垣間見た日。
私たちは、またちょっぴり距離が近づいたような気がした。


end.


第9回Dream Battle参加作品です!
普段の夢粒は二人きりの空間で展開するものが多いので、
いつもと違う外でのやり取りをお楽しみいただけますと幸いです♪